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2012年2月16日 (木)

第51回ゴールを見通そうとするな

◇ 斎藤茂吉の叱咤激励


    己の行く道は間違ってはいない。
    むろん苦険道であるから
    時々へたばるときがある。
    けれども己は歩兵のように歩む。

     『童馬漫語』(「斎藤茂吉全集・第14巻」岩波書店) 


  確信をもって歩め
 
   あかあかと一本の道とほりたり 玉きはる我がいのちなりけり
 
 この歌は斎藤茂吉の歌集『あらたま』を代表する一首です。夕陽に照らされ、はるかにつづくこの道こそ、自分が生きていく道、自分の命そのものだと詠んでいます。師と仰いだ伊藤左千夫の死による〝自立〟を意識してつくった歌とされています。
 この歌について茂吉は、「代々木の原で出来た歌である。秋の一日、代々木の原を見わたすと、遠く遠く一ぽんの道が見えている。赤い太陽が団々として転がると一ぽん道を照りつけた。僕らはこの一ぽん道を歩まねばならぬ」と書いています。
 茂吉は歌論集『童馬漫語』のなかで、自分の歩むべき道を極めようと努力するには、大きな苦労や困難が伴う。その苦しい道に、ときどきへたばることもある。道草を食いながら安楽そうな道を歩む人の顔つきを見ると羨ましく思うこともあるが、それでは自分の心の魂が承知しない。他人が何を言おうと、自分を大切にして、自分の歩む道はけっして間違っていないという確信をもって歩兵のようにひたすらに歩まなければならない、と説いています。
 茂吉にとって、短歌は医学とともに生涯を託すに値する道でしたが、ゴールがはっきりと見えていたわけではありません。「人生は苦界ゆえ、僕は苦しみ抜こうと思う。(中略)正しき道を踏んで行きつくところまで行きつこう」というのが実際のところだったのです。
 そもそも人生のゴールを見通せる人などいません。むしろゴールが見えないからこそ努力できる、ゴールがわからないから人生は楽しめるとも言えるのですから、「あのときああしていれば」と後悔することがないように、人のことなど気にかけずに、いまだ見えないゴールに向かって果敢に歩んでいかなければならないのです。

  確信があるように振る舞え

 そうはいっても、自分の歩んでいく道が点々としていて、一つにつながっていないように思えて迷うことがあります。そんなとき、自分の歩む道がけっして間違っていないという確信があれば、起伏に富んだ道でも前進することができますが、自分の生き方に確信がないと、平坦な道でも途方にくれ心がなえて、自分を見失いそうになることがあります。
 しかしここで、必ず報われるという確信を捨ててはいけません。聖書に「自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります」とありますが、行く先がはるか遠く、その道が点々と不連続に見えても、確信を捨てないことが事を成し遂げる第一歩となるのです。
先ごろ亡くなったアップル社の創始者スティーブ・ジョブズは「点と点のつながりは予測できません。あとで振り返って、点のつながりに気がつくのです。今やっていることがどこかでつながると信じてください」と励ましています。
「確信を持て、いや、確信があるように振る舞え。そうすれば、次第に、本物の確信が生まれてくる」(ゴッホ)のですから、たとえ行く先が点々としていても、その道は間違っていないと確信を抱いて迷うことなく歩んでいけば、確信はやがて希望となり、希望こそが最大の確信となるのです。ライト兄弟が「飛行機はきっと空を飛ぶ」と確信していたようにです。       

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