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2012年2月16日 (木)

第54回 ささいなことをあなどるな

◇ 芥川龍之介の叱咤激励

   
    人生を幸福にするためには、
    日常の瑣事を愛さなければならぬ。
    微妙に楽しむためには、
    やはりまた微妙に苦しまなければならぬ。
    人生を幸福にするためには、
    日常の瑣事に苦しまなければならぬ。  
    
      『侏儒の言葉』(「侏儒の言葉・文芸的な、余りに
                    文芸的な」岩波文庫)


  〝瑣事加減〟をあやまるな

 日々の生活はほとんどが同じことの繰り返しです。心躍るようなトピックが毎日のようにあるわけではありません。人生は毎日の積み重ねの上に築かれるわけですから、おびただしい数の「平凡」の堆積が人生とも言えます。ですから、毎日のささないことをおろそかにしたのでは人生は充実しません。
 ところが私たちはややもすると、こんなささいなことは真面目にやらなくてもかまわないとか、今日でもなくてもいつでもできるとか、こんなことに苦労するのはごめんだと言い訳をして、受け流したり、先送りにしようとします。
 そんな私たちに芥川龍之介は、毎日の取るに足らないことをおろそかにしてはならない、と戒めています。
「人生を幸福にするためには、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔、あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならない。(中略)芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我々も微妙に楽しむためには、やはりまた微妙に苦しまなければならぬ。人生を幸福にするためには、日常の瑣事に苦しまなければならぬ」
瑣事とは取るに足らない小さいことを指します。
 雲の間から洩れる日の光、鳥の鳴き声から料理や洗濯に至るまで、毎日のささいなことを楽しめないでいたのでは、幸福は感じられません。同じことをやるのでも、見聞きするのでも、楽しむ心があってはじめて充足感を得ることができるのです。
 その一方で、日々の生活のなかで悲しみや苦労や苦しさに息が詰まりそうになることもあります。そうした苦い思いもまた人生の重要な一部分を占めていますから、そんな思いをも大事にできる心があってこそ、人生は幸せなものになるのです。
 アランは『幸福論』で、「よい天気をつくり出すのも、悪い天気をつくり出すのも私自身なのだ」と言っていますが、日常の取るに足りない小さな出来事を楽しめるかどうか、と同時に日常のささいなことに苦しみながらも大事にすることができるかどうか、すべては自分の〝瑣事加減〟にかかっているのです。

  人生の細部に命は宿る

「幸福とは幸福を問題にしないときを言う」というふうに、めったに起きないような出来事で幸せになることはまずないと言ってもかまいません。幸福は私たちの日々の生活の少しずつの前進がもたらしてくれるのですから、楽し思いと苦しい思いのあいだを揺れるシーソーの上で上手にバランスをとって少しずつ前進していかなければなりません。
 人生は一箱のマッチに似ている。重大に扱うのはばかばかしい。しかし重大に扱わなければ危険である、芥川龍之介は言っていますが、人生の細部に命は宿ると言われるように、瑣事加減を間違えれば人生はマッチのように発火して、自分を見失うことになりかねないのです。
 微妙に楽しむためには微妙に苦しまなけれならないのが人生ゲームの基本ですから、「日常の瑣事にいのちあれ/生活のくまぐまに緻密なる光彩あれ」(高村光太郎「晩餐」)と心にとめつつ毎日の生活に向き合わなければなりません。もし「こういうゲームのばかばかしさに憤慨を禁じ得ないものはさっさと埒外に歩み去るしかない」(芥川龍之介)のです。

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