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2012年2月16日 (木)

第57回 思慮深く模倣せよ

◇ 亀井勝一郎の叱咤激励


    独創とは一の空語にすぎますまい。
    大切なのは模倣です。
    模倣とは、その外見を「猿まね」することではない。
    その作品にそそがれた並々ならぬ努力の時間、
    そこに払われた苦悩を模倣することである。

      『愛の無常について』(ハルキ文庫)
      『黄金の言葉 思索する心のために』(大和書房)


  模倣はたんなる真似ではない

 模倣はいけない、創造性こそが大事だと言われはじめたのは、ここ十数年のことでしょうか。自己啓発の本には、「人真似をしてはならないのです。誰のことも模倣してはなりません。自分のかけがえのなさを世界に示しなさい。そうすれば、世界はあなたに黄金をもって応えるでしょう」などと模倣を戒めています。
 しかし、いまだかつて、模倣は創造性・独創性よりも劣るなどとみなされたことは、一度たりともなかったと言っていいのです。
 模倣と独創について亀井勝一郎は、純粋に独創的であろうとすることはたんなる妄想にすぎない、と断言しています。
「人はよく独創の話をしますが、生れおちたときから、この世の影響をうけ、邂逅によってさらに生れ変らされたとすれば、独創とは一の空語にすぎますまい。大切なのは模倣です。邂逅の相手を模倣すること。人は模倣を蔑みますが、もしほんとうに釈迦やキリストの模倣が出来たらどういうことになるか。模倣とは真似でなく、自己放棄なのです。(中略)ここに創造の真の母胎があります」
 創造性・独創性が重要であると言われはじめたのには、「模倣は簡単にできる」という先入観があるからかもしれませんが、もし私たちが釈迦やキリストの模倣ができたらすごいことですが、それはまずあり得ません。
 そもそも「習う」は「倣う」と書くように、ものを教わるときは模倣から始めます。ところが、人はとかく自分に信頼を置きたがるので、自我が頭をもたげて、素直に倣うことを妨げようとします。水をたっぷり含んだスポンジに水を吸わそうとしても無理なように、いったん水を絞って、常識や先入観などを捨てる必要があります。自分をまっさらにして率直に「学ぶ=真似ぶ」ことで、自分のなかに「生まれ変わる作用」が生じてはじめて、模倣が血となり肉となり独創へと通じる。だから、模倣はたんなる真似ではないのだ、と亀井勝一郎は説いているのです。
 ゲーテは「つとめて自分に欠けたものを学びとろうと欲しない人は、独創性を誤解しているのだ。生来のものだけではなく、習得したものもまた、わたしの所有である。その両者がわたしである」と、独創性だけにこだわったのでは、自分を見失うことになると戒めています。

  先人の生きる姿勢に倣え

 亀井勝一郎は、「模倣とは、その外見を『猿まね』することではない。その作品にそそがれた並々ならぬ努力の時間、そこに払われた苦悩を模倣することである。このように考えたら、模倣そのものさえ、いかに難しいかが理解しうるだろう。もし模倣がこのようにしてつみかさねられたら、そのとき必ず、そこに模倣者の独創性があらわれるはずだ」と言っています。
 知識や技術など、目に見えるもののみに心を奪われるのではなく、本当に倣うべきもの、それは形や言葉になっていないものなのです。松尾芭蕉も「古人の跡を求めず、古人の求めたるところを求めよ」と言っています。先人が理想として追い求めたもの、方法論、姿勢、精神などを追求しなければならないというわけです。
 芸術は模倣であると言われますが、それはたんなる技法の真似ではなく、その技法を生み出すに到った過程、その人の生き方に「倣う」姿勢が求められます。それなくして、模倣から独創性は生まれないのです。まさしく「独創力とは思慮深い模倣以外の何ものでもない」(フランスの思想家ヴォルテール)のです。

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