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2012年2月16日 (木)

第58回 〝しかし〟で壁を突破せよ

◇ 川端康成の叱咤激励

   
    〝しかし〟という接続詞による、 
    思考の変換か屈折で、
    悩みのゆきづまりが救われたり、
    新しい道が通じたりするのは、
    人間の習いじゃありませんか。
    〝しかし〟の通用しない天国にも地獄にも、
    僕らは住んでいません。

          『たんぽぽ』(講談社文芸文庫)


  過去と同じ意識でいたのでは打開できない

「誰もが自分自身の視野の限界を世界の限界だと思い込んでいる」とドイツの哲学者ショーペンハウエルは言っていますが、たとえばこれまでその仕事で失敗したことが何度もあるのに、またその仕事を割り振られたとき、「過去に何度も心配しているから絶対にできない」と決めつけてしまうことがあります。しかし、自分で自分の限界を決めてしまったのでは自分を見失うことになりかねません。未来は過去の延長線上にはないのですから、過去と同じ意識でいたのでは問題は解決しないのです。
 そんなとき、「その仕事は苦手だけれど、しかし、考えてみれば、その苦手を克服するいいチャンスをもらったんだ」というふうに、ぶち当たった壁に意味を見出すことができれば、それだけで打開の一歩を踏み出したことになるのです。
「ものは考えよう」と言いますが、川端康成は、「ものは考えよう」という思考の転換のキーワードになるのが「しかし」であると言っています。人は前を見ているつもりで実はバックミラーを見ていると言われるように、誰でも行きづまったり、悩んでいるときには、後ろ向きになるものです。そんなとき、「しかし、ちょっと待てよ」と、問題の原因を違った角度から眺めてみる。すると、乗り越えられないと決めつけていた壁に挑戦する価値があることがわかり、展望が開けたり、打開策が見えてくるのです。五十歳を超えたので「もう今からでは無理だ」とあきらめるのか、「しかし、ちょっと待てよ。今からでもできはずだ」と思うのか、この「しかし」を介した「では」から「でも」への転換は、五年後、十年後の人生に大きな違いをもたらします。

  俯瞰で人生を眺めよ

 作家の黒川創さんは「自分を突き放すことは、救いにもなる。距離がないとユーモアもロマンも生まれない。全部わからないのが人生だとしても、距離によって見えてくるものから、生きる工夫も生まれてくるはずです」と言っています。
 黒川さんは俯瞰の小説作法にその特徴がありますが、行きづまったときに俯瞰してみること、それは、生きる上でも大切な作法と言えるのではないでしょうか。「しかし……」とワンポーズおいて、さまざな角度や距離から見つめ直すことで、生きる工夫が発見できるのです。「物事は両面からみる。それでは平凡な答えが出るにすぎず、智恵は湧いてこない。いまひとつ、とんでもない角度──つまり天の一角から見おろすか、虚空の一点を設定して見おろすか、どちらかにしてみれば問題はずいぶんかわってくる」(司馬遼太郎)のです。
 行きづまったときに、自分が本当に何を求めているのか、どう生きたいのかをはっきりさせることなく、ノウハウやテクニックを人の成功体験に求めて自分を変えていこうとしがちですが、そうした他力本願の啓発は、自分とのズレを生じて自己矛盾におちいってしまいがちです。
 城山三郎は「打たれて傷ついた身が、健康人と同じことができるはずがない。傷ついた男は、傷ついた身にふさわしい生き方、生きていく工夫がある。健康人をまねて、むやみにあがき嘆くのではなく、頭を切りかえ、いまの身でできる最良の生き方を考えることである」と、行きづまったからといって、人と同じことをしようとして自分を見失わないようにと戒めています。「大病にせよ、大失敗にせよ、人生のすべてを観察というか、好奇心の対象として眺めるゆとりを持つ限り、人は必ず再起できる」のですから、「しかし……」といったん自分を突き放して眺めてみるといいのです。

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