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2012年2月16日 (木)

第59回 断行熟慮せよ

◇ 山田美妙の叱咤激励


    熟考はすべて迷想じゃぞ。
    熟考にろくなことはない。
    世間凡俗は熟考を人間の大事と思う。

      『二郎経高』(「明治文学全集23」筑摩書房)


  熟慮していると肝腎の動機まですたれてしまう

 十九世紀のフランスの作家ガストン・ド・レヴィスは「運動して体力がつくように、熟考すると精神力が高まる」と言っていますが、はたして、そうでしょうか。
 ゴルフに関する格言に、あれこれ考えるからミスを誘発する。下手なら下手でいい。熟考してミスすると、後悔が長引くから、さっさとミスして次のことをやったほうがましだ、というのがあるそうです。「いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできない」(アインシュタイン)のです。
 そうだとすれば、いつまでも熟考するのは考えものです。山田美妙はこのことについて、世間の人たちは熟考を大事なことと考えているようだが、熟考は迷想にすぎない、熟考していてもろくなことはない、と言い切っています。
 山田美妙はさまざまな方面に手を伸ばし、大成しなかった作家とも言われますが、明治期の言文一致や新体詩運動に功績を残し、歴史小説に本領を発揮しています。明治という時代にあって、新しい文学をつくりだすべく果敢に断行した人だったのです。
 確かに事に当たって熟考・熟慮は必要ですが、熟考・熟慮だけしていて断行を忘れたものには運命の神は微笑まないのです。ドイツの文豪シラーも、あまり熟慮しすぎるものは大したことをできない、と断言しています。
 森鷗外は『青年』のなかで、「人間は遅疑しながら何かするときは、その行為の動機をありあわせのものに帰する」と書いています。熟考するあまりに遅疑、つまり、しようかしまいか決しかねてぐずぐずしていると、何かをしようとした動機そのものがすたれてしまうのです。ですから、あらかじめ考えをよくまとめてからでないと仕事ができないなどと言っていたのでは、チャンスを逸してしまって、仕事を逃れる口実と受け取られかねません。

  行動なくして認識なし

 そもそも、いくら考え抜いたところで先のことを完全に見通すことはできませんから、動機がすたれてしまわないうちに単刀直入にやったほうがいいのです。『エクセレント・カンパニー』で知られる経営コンサルタントのトム・ピーターズは、「『熟考のすえに行動しろ』は戦略おぼっちゃまたちの呪文にすぎない」と言い切っています。
「熟慮し動かぬ賢者より、拙速でも実行する愚者でありたい」と言った人がいますが、池に小石を投じてみなければ、それによって起こる波が大波なのか小波なのか、自分に向かってくる波なのか去っていく波なのか、確かめようがありません。
 百段の階段があったならば、その頂点に行くにはどうしらいいかを熟考していても、ラチがあきません。それよりは、一段、二段、三段と、まずは昇ってみることです。すると、おのずと何が不足しているのか、何をしなければならないかが見えてきて、四段目、五段目のステップへの備えをすることができるのです。
 行動というものは、常に判断の停止と批判の中止とによって、はじめて可能になる、「現実を凝視せよ」という言葉を濫用してはならない、と福田恆存は言っています。たとえば、資料が十分に出そろってから仕事に移るべきだと考えるとしたら、私たちは永遠に仕事などできません。私たちは認識のためにも行動しなければならないのです。
 熟慮断行ではなくて、断行熟慮せよ、これが山田美妙が伝えようとした核心なのです。

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